南伊勢の竈方文化
南伊勢町には地名に「竈」という字がつく「竈方」と呼ばれる7つの集落があります。
そのルーツは平安時代の末期、一ノ谷の合戦に敗れた平維盛とその子、岸上行弘の子孫が南伊勢へ移り住んだことからはじまります。
竈方の歩みと「竈方祭り」
南伊勢には「浦方」と呼ばれる漁業を生業とする先住民が海沿いで暮らしていたため、移り住んだ平家の子孫は海に出ることを諦め、入り江の奥まった地域に集落を構えました。そこで粘土を固めた大きな土鍋のような竈をつくり、汲み上げた海水を炊き詰めて塩をつくって生計を立てたのです。この塩竈が「竈方」の由来と言われています。 竈方の民は関ヶ原の合戦、中島合戦などの戦にも出陣し、数々の武功をあげ、山林や苗字、家紋などを与えられ、繁栄しました。最盛期には大方竈、道行竈、小方竈、栃木竈、新桑竈、棚橋竈、赤崎竈(※1)、相賀竈の8つ集落ができ、「南島八か竈」と呼ばれました。
製塩業は1400~1600年代まで行われたそうですが、時代とともに林業へと移り変わっていきました。豊かで文化度の高かった竈方の民は八幡神を信仰し、正月には大方竈にある総氏神・八幡神社をお参りすることが慣わしとなっていました。
1687年頃には八竈方の伝統的儀式として「竈方祭り」がはじまり、平家の子孫の証である古証文(現・御証文)や、塩を量るのに用いた古枡を共有の宝物として受け渡す儀式(枡渡式)や、弓引き神事が正月に執り行われてきました。当番竈が輪番で開催し、そこへ他の竈方から参加者が集う「竈方祭り」は点在する竈方の絆を確かめ、交流を持つ年に一回の大切な行事として続けられてきましたが、人口減少に伴い昭和30年代(1955年頃)から略式になり、高齢化が拍車をかけ2004年には輪番制を廃止して大方竈に集う形に、2008年からは隔年ごとの祭事となりました。
※1 赤崎竈は安政の津波のため流出、その後廃村となっています
2017年 再現された竈方祭り
竈方文化の継承や保存などを目的に「竈方文化保存振興協議会」が立ち上がり、「御座船」を復活。2017年現存する7竈方の代表者が裃袴に脇差姿で集い、昔ながらの竈方祭りを行いました。
竈方共有の宝物「御証文」
御証文箱の中の古証文には一族の歩みや竈山の権利に関することが記されています。
古証文31通と塩を量るのに用いた古枡は三重県の有形文化財に登録されています。
御証文改め式
2年に1度行われる「御証文改め式」では7か竈の区長が大方竈に集まり、すべての古証文を確認し、御証文箱に戻し印を押して封印します。
先人たちが積み重ねてきた伝統文化を後世へ繋いでいます。